生命とは何か

生命とは何か。クラシカルな定義としては、「自己複製」、「エネルギー代謝」、「細胞構造」の存在だとされる(大島2010)。この定義によるとウイルスはエネルギー代謝をしないから生命ではないことになる。

 

NASAは生命を「ダーウィン的進化が可能な自立した化学システム」と定義している。そして、地球上の生命の特徴として、「酵素によって代謝を行う分子を含み、それは遺伝し、遺伝情報は分子によって伝えられる」。「代謝は熱力学的不平衡を利用する」。「生体分子の構造はランダムに変化し、自然淘汰が働く」。

 

Vitas and Dobovisek (2019)はNASAの定義のダーウィン的進化は必須ではないとし、さらに情報の重要性を指摘して、「生命は、環境から得た情報を処理し、変換し、蓄積することができる、決して平衡ではない自己維持化学システムである。」と書いている。

 

この定義から化学をはずすとロボットにもあてはまるかも知れない。

 

大島泰郎(2010)生命の定義と生物物理学.生物物理 50:112-113

Vitas, M., & Dobovišek, A. (2019). Towards a general definition of life. Origins of Life and Evolution of Biospheres 49:77-88.

進化という言葉

進化と言う言葉は広く使われている。Google検索では378千万件ヒットする。生物学での定義では、「生物個体あるいは生物集団の伝達的性質の累積的変化」(生物学事典)だが、わかりにくい定義だ。一方、日本大百科事典では「長大な時間経過に伴い生物が変化していくこと」とある。こちらの方が一般人にはなじみやすいだろうが、正しくない。進化生物学では、集団内での遺伝子頻度の変化を進化とみなし、大腸菌などでは数日あるいは数時間で進化は生じる。それに対して一般的には、恐竜が絶滅して哺乳類が増加するだとか、猿からヒトが誕生するような大きな変化を進化ととらえている。結局、進化は種内で起こる遺伝的変化と新しい種が生じることの両方を含む、時間経過による種の変化である。

 

 ところで、種の起源の初版には進化evolutionという語は使われていない。しかし、象徴的なことに全文の最後がevolvedで閉じられている。

from so simple a beginning endless forms most beautiful and most wonderful have been, and are being, evolved.

 それに対して、第6版では、evolution8回使われている。いずれも種が突然飛躍的に出現するという考えを批判して、自然選択によって漸進的に変化することを論じる文脈である。

 

もともとラテン語evolutioとそれから由来するフランス語のévolutionが軍事作戦や陣形の変更を指すのに使われた。17世紀初頭には、英語のevolutionは「広げる、開く、明らかにする過程」という意味で使われていた。ダーウィンが初版でevolutionを使わなかったのは、自分の理論を、生命の歴史はあらかじめ決められた創造的計画の年代順の展開であるという考えと結び付けたくはなかったためだとされる。ダーウィンの叔父エラスムスダーウィン1801年の著作でevolutionを「世界は...全能の神の意思によって突然全体が進化する(a sudden evolution)のではなく、非常に小さな始まりから徐々に生み出されたのかもしれない。」のように使っている。

 その後、evolutionは漸進的変化の意味で使われるようになった。ライエルは1832年に、「まず海洋に生息する種が存在し、その一部が徐々に進化して(gradual evolution)、陸上に生息する種に改良された。」と書いている。

大腸菌も歳をとる

2分裂して増える細菌は歳を取らない(老化しない)と考えられてきた。しかし、2000年代のはじめに大腸菌などが老化することが明らかにされた。

老化は、様々な要因によって、生物組織に障害や有害物質が生じ、それが蓄積することにより年齢とともに死亡率が増加し、生殖率が低下することである。多細胞生物では、体細胞とは異なる生殖細胞によって年齢をリセットする。しかし、分裂によって増殖する生物が老化すると、全ての個体の年齢が同じであるため、全個体が同時に死滅することになる。

 Stewartら(2005)は大腸菌が繰り返し分裂する様子を観察した結果、古い極を受け継いだ細胞は、成長速度が低下し、子孫を残すことができなくなり、死亡率も上昇することを観察した。このことから、細胞分裂で作られる同一と思われる2つの細胞は機能的に非対称であり、古い極を持つ細胞は若返った細胞を繰り返し生産する老化した親だと結論づけた。これらの結果は、どのような生命戦略も老化の影響を免れることはできず、したがって、不老不死はコストがかかりすぎるか、機構的に不可能であることを示唆している。

読書メモ:生物はなぜ死ぬのか

出版されてから1年以上たつのだが,2022年の新書大賞を獲得したことが納得できる名著だと思う.

生物の死には2種類あって,病気や捕食などアクシデントによる死と寿命による死であり,本書の興味の対象は主に寿命による死である.章立ては,

1.そもそも生物はなぜ誕生したのか

2.そもそも生物はなぜ絶滅するのか

3.そもそも生物はどのように死ぬのか

4.そもそもヒトはどのように死ぬのか

5.そもそも生物はなぜ死ぬのか

となっている.私にとってはわかりにくい構成だと感じたが,結論は4にあるように思う.

細胞分裂にともなうDNA複製にミスが低頻度(10億塩基あたり1回)で生じる.ヒトのゲノムサイズは30億塩基なので,1複製あたり平均3個のミスが生じる.大抵の場合は修復されるが,修復もれが生じるとがん細胞のような有害な細胞に変化する恐れがある.そのため,体細胞は50回分裂すると死ぬようにプログラムされているという.これが細胞の老化である.ところで,体細胞が次々と死ぬと体の組織が維持できない.そこで幹細胞という体細胞の供給源を残している.しかし,幹細胞自体も次第に老化する.

「幹細胞の老化は新しい細胞の供給が悪くなるもで,全身の機能に影響が出ます....つまり幹細胞の老化が,個体の老化の主な原因の一つとなっています.」

「本章の内容をまとめると,細胞が分裂を繰り返すとゲノムに変異が蓄積し,がん化のリスクが上がります.これを避けるため,免疫機構や老化の仕組みを獲得して,細胞の入れ替えが可能になりました.これで若いときのがん化はかなり抑えられますが,それでも55歳くらいが限界で,その年齢くらいからゲノムの傷の蓄積量が限界値を超え始めます....別の言い方をすれば,進化で獲得した想定(55歳)をはるかに超えてヒトは長生きになってしまったのです.」

生物が若返る方法が生殖細胞によるリセットである.

 

著者は分子生物学が専門で,細胞の生死について研究したところから得た着想だと思う.しかし,ここでいくつか疑問が生じる.なぜ生物によって寿命が異なるのか.基本的には生活史戦略(著者はこの言葉は使っていないが)の違いによる.2種類の死があると書いたが,アクシデントによって死ぬ確率が高い種は寿命を延ばす必要はない.例えば,小型のネズミは早熟多産だが,トレードオフとして抗がん作用や抗老化作用に関わる遺伝子を失った.サイズが大きなネズミは対捕食者機能が強く,寿命が長い.

 

それでは,アクシデントによる死が少ない生物で,老化を防ぐ方法はないのか.これについては本書では十分に議論されていないが,進化生物学では中心的なテーマである.別のところで紹介したい.

 

著者と私の考えが異なる点がある.生物が死ななければならない理由として2点あげている.ひとつは食料や生活空間などの不足で,もうひとつは多様性を生み出すためだという.特に後者が重要だという.「当然ですが,子供のほうが親よりも多様性に満ちており,生物界においては価値がある,つまり生き残る可能性が高い「優秀な」存在なのです.言い換えれば,親は死んで子供が残ったほうが,種を維持する戦略としては正しく,生物はそのような多様性重視のコンセプトで生き抜いてきたのです.」

しかし,多様性は進化の結果であり,目的ではない.また,自然淘汰は個体に対して働くものであり,種を維持するための進化はごく限られた条件でしか生じない.著者自身,生物が環境に合わせて多様な性質を獲得したことについて,本書の前半で,

「ランダムに変化して,たまたまそこの環境で生き残ったというのが,より正確でしょう.」

と書いている.

 

蛇足だが,本書では細胞の寿命は真核生物の宿命であり,細菌には寿命がないように匂わせているが,近年,細菌の寿命についても研究が進んでいるらしい.

 

大阪府生物多様性戦略をどう活用するか

はじめに

 2022年3月31日に大阪府生物多様性地域戦略(以下大阪府戦略)が発表された*1。これまで環境基本計画を生物多様性戦略を含む文書としていたのが、名実ともに生物多様性戦略を持つことになったのは大きな前進である。ここでは、この戦略をより有効な武器として利用するための私見を述べたい。戦略では、(1) あるべき姿、(2)現状認識、(3)目標達成への具体的方法が重要である。

生物多様性の新しい動き:30 by 30

 大阪府戦略の背景として、世界的な動向を見てみよう。2021年6月に開催されたG7首脳会合では、陸域と海域それぞれ30%を保護区とする目標(30 by 30)を掲げた「自然協約」が発表された。

 現在、日本の自然保護区は陸域20%、海域13%ほどである。国立公園や国定公園を拡大する方針を発表したが、上記目標を達成するのは簡単ではない。そこで、OECM(民間取組等と連携した自然環境保全)という制度を導入する。これは、保護地域以外で、生態系の機能や生物多様性保全にとって有益で、長期間持続的に維持管理される区域である。里山保全活動地や社寺林、企業の森などがOECM候補とされる。課題は持続的な管理とモニタリングの継続であり、環境省自治体のサポート体制が重要である。環境省では、この制度の推進のために企業、自治体、団体の参加による「30by30アライアンス」を発足させた。これによって、OECM候補地のデータベース化などが計られる。

生物多様性戦略の目指すもの

 生物多様性戦略というと難しく聞こえるが、健康社会の実現と比べてみよう。健康社会では、目標=あるべき姿は若いうちに病気で死ぬことを減らし、健康寿命をのばすことである。目標達成のためには、疫学的調査によって健康を損なう原因の発見と生活改善、健康診断による病気の早期発見、発病後は病気の治療、というレベルの異なる取組が考えられる(表1)。健康社会の実現には、病気の治療とともに病気にならないことが重要であるように、生物多様性戦略では、絶滅危惧種を回復させることとともに、絶滅危惧種にさせないことが重要である。

 しかし、人の健康が大切なことは誰も疑わないのに対して、生物多様性が大切なことは誰もが考えているとは言えない。2021年7月公表の「次期生物多様性戦略研究会報告」では、「自然の恵みの持続可能な形での積極的な活用」や「生物多様性と生態系に対する影響を内部化する社会変革」が必要とされる。わかりやすく言うと、洪水を防ぐためにコンクリートのダムだけにたよるのでなく森や湿地の貯水機能を利用したり、原生林を伐採し児童労働を使って生産したチョコレート(カカオ)ではなく生物多様性と人権に配慮した農園で生産したチョコレートを食べる生活にしようということである。

大阪府生物多様性地域戦略の概要

 大阪府戦略は、1.策定の趣旨、2.生物多様性の現状と課題、3.戦略の目標と施策方針、4.推進体制及び進行管理、から構成されている。趣旨(必要性)は、「生物多様性は私たちの暮らしには欠かすことができないものであり、生物多様性から得られる様々な恵みを、将来世代も含めたすべての人が受けられるよう」取り組むことであり、「生物多様性をめぐる課題」は地域によって異なるために、地域戦略が必要だとしている。

 現状については、「大阪府の自然の特徴」、「伝統野菜や祭りなど大阪の文化と生物多様性の関わり」、「生物多様性の4つの危機」、「2011年以降の取組状況」が要約されている。ここは健康診断に相当するが、検査項目が少なくて、健康度合いを評価できない。目標達成状況は3項目(生物多様性認知度、活動する府民の割合、地域指定拡大面積)に過ぎず、主な課題との対応もとれていない。せっかく作ったレッドリスト2014が活用されたかどうかも評価されていない。

 目標には(1) 自然の恵みに関する意識の向上と自然環境に配慮した行動の促進、(2)自然環境の持続的な保全保全活動・特定外来生物防除の推進、(3)モニタリング体制の構築を掲げている。そして、目標達成のための取組方針としては、(1) 生物多様性の理解と多様性に資する行動の促進、(2) 自然資本の持続可能な利用、維持・充実、(3) 生物多様性保全に資する仕組み作りの推進が挙げられている。取組方針(3)では8つの取組項目が示されていて、その中で「野生動植物種のモニタリング体制の構築」、「レッドリストの改訂及び活用」、「保全上重要な野生動植物種の保全に資する制度の構築」、「野生鳥獣の適正な保護管理」、「保護地域及びその他の効果的な地域をベースとした保全手段の検討」は、生物多様性の減少に直接歯止めをかける取組と言える。これらは主に病気の発見と治療に相当する。

大阪の生物多様性の危機

 大阪府レッドリスト掲載種は2000年から2014年の間に2倍に増加したが、その原因について分析されていない。これは、これまで、ほとんどモニタリングがなされてこなかったためだろう。大阪府戦略では、生物多様性の4つの危機について説明されているが、ここでは第1と第2の危機について、大阪の現状を見てみよう。

第1の危機(開発・乱獲)

 まず、第1の危機に対しては、何より保護区の設定が有効である。保護区については、地域指定面積は陸域で府域面積の24.6%で、グローバルな目標である30%には達しないものの健闘している。しかし、自然海岸は海岸線の0.7%に過ぎず、海岸の再生は最重要課題といえる。大阪府戦略には夢洲のようなホットスポットを守るための施策も書かれておらず開発を甘んじて受け入れている。

 保護区が有効であるかを評価するために、大阪府が2014年に選定した生物多様性ホットスポットを取り上げる。ホットスポット生物多様性が豊かであると同時に開発の恐れが拭いきれない場所でもある。佐久間(2017)はホットスポットの環境を林、草地・湿地、農耕地周辺、河川、海岸・河口、その他に分けるとともに、保護や管理状況を整理した。2017年以後の変化も加えると、Aランク16カ所のうち10カ所(63%)は自然公園等の制度によって保護されている(図1、表2)。保護地域でない6カ所のうち5カ所は河川や海岸で河川管理計画等によって自然が維持されている。鉢ヶ峯と信太山は、保全協会も協力した市民運動によって、新たに制定された保護地域である。 Bランクも保護率64%だが、Cランクは21%と低い。

 

 環境区分では、保護区域に”含まれている”のは林が20/27、湿地・草地が4/6、農耕地が10/20、河川が3/11、海岸・河口が2/14でである(表3)。もともと自然保護区はほとんどが山地である(図1)。河川と海岸は公的に管理されているため、政策が変わらない限りは問題は生じないと考えられる一方、農耕地は保護区と隣接しているだけで、保護区には含まれず、圃場整備や農業施設への転用の恐れがある。生物多様性に配慮した農業を行う農家への補助などが有効となる。

 藤井(1999)は近畿地方の保護場重要な植物を生育環境別に分けて、危機の度合いを比較した。それによると掲載種は森林(429)、水湿地(185)、岩石地(171)草地(137)、海辺(75)の順だが、2府5県のいずれかで「絶滅」または「絶滅?」と判定された高危険度種は、水湿地、森林、草地の順となっている(表4)。ホットスポット55カ所のうち、草地・湿地は6カ所であることは、この草地・湿地の脆弱性を示している。

第2の危機(自然への働きかけの減少)

 第2の危機の回避には、保全活動が不可欠である。Aランクについては、保全活動がなされているのは16カ所中12カ所である(表2)。BCランクのうち河口・海岸を除くと30カ所のうち18カ所で保全活動がなされている。

 私の知る限りでは府内32カ所で里山保全が取り組まれており、多くは行政の支援による取組であり、保全協会も5グループが里山保全活動を行い,5つの提携団体がある。それ以外に大阪府がすすめるアドプトフォレスト(事業者参画による広葉樹林化)は38団体によって取り組まれている。しかし、一部のサイトを除いて、取り組みが生物多様性に貢献しているか検証がなされていないのは問題である。また,遷移の影響を受けやすい湿地や草地でそもそも保全活動がなされている保護区が少ない。

今後の保全の取組

大阪府戦略に対する府民意見では絶滅危惧種保全について具体策が書かれていないことや、推進体制への不安が指摘された。ただ、大阪府戦略では、モニタリングの強化が掲げられている。ホットスポットなどを中心に、里山、湿地などタイプの異なる生態系ごとのモニタリングサイトの設定が必要である。大阪府は、みどりのトラスト協会の事業として3カ所でモニタリングを実施しているが、府内15カ所のモニタリングサイト1000などへの支援や新たなサイト設定のための実施体制が必要である。おおさか生物多様性パートナー協定*2を充実させることは、環境省がすすめる30 by 30アライアンスにもつながる。保全協会も里山一斉調査や観察会でのモニタリング方法も工夫したい。

 行政によって具体的な保護対策がなされている種は、ミドリシジミ類などのチョウとイタセンパラなどの魚類、ブナ林、サギソウなど湿地植物であり、これらはいずれも生息場所の保全と一体となっている。種の保護については、生息地のモニタリングと保全活動が鍵となる。いくつかの種を選んで生息場所を保全・再生する計画をたてるべきである。栗園でのキマダラルリツバメの保護なども進めているが、タガメなどは農業の再生と一体となった取組が必要である。保全上必要度の高い場所での新たな取り組みを行政と協議することも考えたい。また、民間財団等による助成制度の活用も必要である.大都市と里山が隣接するという大阪府の強みを活かした取組を進めたい。

 

*1:

生物多様性国家戦略:1992年に採択された生物多様性条約で定められた,生物多様性のための国別の計画で,日本では1995年に閣議決定され,その後4回改訂された.現在では,生物多様性基本法で策定が決められている.同法は地方自治体が生物多様性地域戦略を定めるよう務めなければならないと規定している.

*2:

おおさか生物多様性パートナー協定:生物多様性保全活動に取り組む企業を大阪府及び専門機関等が連携して支援するとともに、府が当該企業のPRや推奨を行うことで、企業の自主的な生物多様性保全活動を促し、企業価値の向上を図ることを目的とした仕組み.例えば,積水ハウスの新・里山には大阪公立大学や府立農林水産総合研究所が調査や助言を行っている.

他国の視点で日本を見る

コロナ危機に際して,異なる専門の著者が似た視点を書いていた.

 管首相によって学術会議会員の任命を拒否された加藤陽子は,「この国のかたちを見つめ直す」で,清沢例の1945年元日の日記、「日本で最大の不自由は、国際間題において、対手の立場を説明することができない事だ。日本には自分の立場しか在い」を引用しつつ,「他者を公正に見ない社会では、自らの立ち位置もまた見えなく在る。究極の他者たる敵国の行動を理解し、いわば相手になりきらねばならない時、当時の政府がやっていたのは自国民への情報統制だった。」

 神戸大学教授で感染症が専門の岩田健太郎は,内田樹との対談集「リスクを生きる」で,「愛国心を鼓舞することで起きる悲劇は,イタリアのムッソリーニやドイツのナチス政権,中国の毛沢東の時代でも証明済みで,右派も左派も関係ない.いずれも外国から見れば”醜悪そのもの”だったわけですから...「相対的に日本を見る」という視点がこれからはものすごく大事だと思うんですよね...「他の国の目で日本を見る」という相対的な視点を失ってしまうと,ただの井の中の蛙になってしまう.コロナ禍はそれを気づかせるきっかけになったとも思うんです.」

自我の起源 2

真木が動物行動学から得ようとした結論は,群れる動物における「個体の固有性への相互関心と識別能力が,折り返して自己自身のアイデンティティの固有性という感覚の前提となっている」「〈自己意識〉は一般的に,他の個体との社会的な関係において反照的に形成されるが,その文脈となる社会関係が,このように「個体識別的」である時にはじめて,それはわれわれにみるような,かけがえのないものとしての〈自我〉の感覚を形成するものとなるだろう.」ということだろう.

 

ドーキンスが,「不死身の遺伝子を絶やしてしまうことになるなら,たとえ世界を手に入れたところで,雄には一体何の益があるだろうか」との書いていることに対して,子供を残さなかった芸術家やシングル・ライフを贈る人たちを例に挙げて,「少なくとも人間の個というものが,ドーキンス流の生成子再生産機械でないことを立証している.」という.(「生成子」とは真木によるgeneの訳語であるが,ここでは論究しない.)人の幸福感が自己の遺伝子のコピーの増加を直接反映するものではないことは,ドーキンスのみならずすべての生物学者が認めることである.この例によって生物個体が持っている遺伝子を増やすための機械(乗り物)であることを否定したことにはない.人の感情や文化が遺伝子の増加速度以外の要因によって発展したことに興味があるに違いないのだから,ここは読み飛ばしたい.

 

真木は,自己の起源をドーキンスに探り,それを止揚することによって得ようとしているようだ.「「利己性(selfishness)」の準拠水準を個体からずらしてもよいと考えるのなら,個体水準の利己性をとくに〈利個性(egoism)〉として,selfishness一般と弁別しておいてもいい.」

そして,「個体の利己を遺伝子の「利己」から剥離して取り出しうるのは,両者の方向が対立するという状況においてだけである」は,正しい考察だ.

しかし,鮭が余力を残して産卵して,産卵後に海で遊ぶ自由を満喫する個体がいれば,それが「遺伝子の生存機械でなく,個としての主体性を確立したと言える」とする.複数回繁殖のモデルを示唆しているが,これに関しては生活史戦略について,理解できていないようだ.

 

次の論理が理解できないが,真木は,社会生物学は,〈血縁の意識〉,子孫を残そうとする意思のはるか以前に,遺伝子の論理というものに立脚しているとして,自我について,「〈個の意識〉,個体としての〈自己意識〉というものが発生するはるか以前に,意識以前の自己というもの,未だ非意識の戦略主体として作用する個体の力,個体の論理というものがすでに成立していたとかんがえておいていいはずだ.」

 

「個体は最初から,たとえば真核単細胞的な時代から,生成子の機械や装置や操り人形というよりも,「エージェント」に近い.つまりある種の「主体性」をもつ.」エージェントはドーキンスも使っていて,より強い「テレオノミー的」な主体性であるとする.テレオノミーとは「「何のために」という問いに対する答え」だという.

ドーキンスが「テレオノミー」という用語で言おうとするのは,"selection of"つまり淘汰(選択)の水準は個体,あるいは群や種の水準においてさえ起こるだろうが,"selection for"つまり淘汰(選択)の究極の「目的因」はあくまで遺伝子にあるという主張である.」

 

クジャクの羽に関するフィッシャーのランナウェイ理論の紹介.ローレンツの「攻撃」に書かれた「新しい,完全に自立した本能」の形成.

 

浅田彰の「しだれ柳」現象の紹介:「「系統樹」において,DNA分子量をタテ軸にとって描くと,「目が変わるくらいのところでDNA量がパーッと増える.そこから種として安定した段階になると,ちょっと減っているように思える」」そこから,「新しく創発された種の個体という上位システムにとって,「不要な」生成子の幾分かが進化の走行中に「ふりおとされ」整理されたとみることもできる.」「そこに個体のテレオノミー的な主体化の原的な形態をみることができる」とする.

 

「第2に,ドーキンス自身によれば多細胞「個体」というものの定義じたいであるような「ボトルネック化」の機能の一つは,ある世代の個体の獲得した外来生成子」を排除することにある.これは「個体ないし種の水準の主体化」であるとする.

 

第3は「免疫」機能は「自己/非自己」の識別と排除であり,「個体という上位システムの更なる「主体化」」だとする.

 

「〈個体〉の真のテレオノミー的な主体化は,脳神経系の高度化の結果,個体が生殖以外の生のよろこびを強度に感受し,それらを自己目的化する能力を獲得する局面を待たねばならない.」「生成子は考えないが,考える主体を形成してしまう.」「この「主体(subject)」は,近代的自我の主体性(subjectivity)のもつ両義性と同型の両義性である.」

 

これまでは,テレオノミー的な主体性を「あるシステム(ここでは「個体」)が,それ自体を創成してきた本来の力の支配から自立して,自己目的性を獲得することとしてきた.」しかし,「主体は,主体として自己以外のものを「目的」とし価値とすることもできる.〈テレオノミー的な主体〉の一般的な定義は,テレオノミーを自ら設定しうることである.」

自己目的化:設定されたテレオノミーが自己自身である

脱自己目的化:設定されたテレオノミーが再び自己以外のものである

 

生殖年齢と寿命がほぼ等しいことは,「「個体」というものが,遺伝子の生存機械あるいは「エージェント」にすぎないというドーキンスの理論の支配力が,相当強いものであることの証左」「逆に言えば「個体」の寿命と生殖可能年齢との間の差分は,非常に粗雑な形ではあるが,「個体」というシステムのテレオノミー的な主体化の度合いを示す」

 

群れをつくるサルのリーダーは強いだけでなく,弱者への思いやりと公平さ,寛大等の特性が条件とされるとし,「進化論的な「適格性」を決定する尺度の多次元性ということは,他個体たちからの個体の選択と「評価」の基準の多次元かということの根拠を構成し」「個体「評価」の基準の多次元化は...第1に学習能力,およびシミュレーション能力を支えるに足るだけの脳の発達,第2に群居性,とくに「社会性」」を前提とする.

 

「哺乳類という生命の分岐の特質が,〈自我〉のこのようなテレオノミー的な主体化に至る進化」を達した条件は,(1)哺乳,(2)保育期間の延長,(3)学習能力とシミュレーション能力,(4)群居と社会性だとする.「個体」が生成子のメディアであることからの自立と主体化の条件は,「個体の自己中心化への力であると同時に,また個体の脱自己中心化への力でもある.」